「CGが映画をダメにした」と言われるのはCGのせいではない?
1: オムコシ ★ 2015/08/09(日) 11:08:04.21 ID:???.net
CGが悪く言われる映画はCGではなく作品自体がそもそも悪い?
以前紹介した「現代映画のCGに感情移入できない理由は脳の問題? とその論争」で「CGの使いすぎが映画をダメにしている」
といった主張がありましたが、その意見に対抗するような内容の動画が公開されています。
io9が取り上げた、RocketJump Film Schoolの
「Why CG Sucks (Except It Doesn’t)/何故CGはダメなのか(そうでないものを除く)」とその要訳をご覧ください。
的を射たポイントの数々に思わず頷くかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=bL6hp8BKB24
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ここ数年の映画は本当にダメだ。ギラギラしたCGのせいで全てが台無し。
それに引き換え、90年代前半までの映画は素晴らしい!
あの頃はプラクティカル・エフェクトが主流だったからなぁ。
あぁ、本当にCGなんてなければいいのに…!
CG嫌いの人たちは、きっとそう思っていることでしょう。
しかし、私は違うと思います。
CGがダメにしていると思うのは、私たちがダメなCGを見ているからに他なりません。
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RocketJump Film Schoolは「本当に素晴らしいCGは、画面に溶け込んでいるために観客がCGだと気がつかない」と主張しています。
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良いCGは物語やキャラクターを支える存在であり、主張しすぎません。
CGを使うことの長所や短所、できることやできないことを理解した上で、
補助的要因として使用した場合、素晴らしい効果を発揮します。
乗り物や家具といったものは、ずいぶん前からCGで再現されています。
昨今のモブの車や空を飛び回る乗り物といったものは、撮影の安全面もあり、ほぼ全てがCGです。
車の衝突シーンでもCGが多く使われています。そして、時には街全体がCGということも。
良い例が『アベンジャーズ』でのニューヨークのバトル。
あのシーンでは写真を参考にCGの街を作ることで、カメラを自在に動かすことを可能にしているのです。
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さらに、背景やプロップだけでなく、肌の質感も本物そっくりに再現できているとも語っています。
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アイアンマンにしても、ロバート・ダウニー・Jrはプラクティカル・スーツを着て演技をしていません。
また、CGは固いオブジェクトだけでなく、布や毛、肌といった、より複雑なものの再現にも成功しています。
2001年の映画版『ファイナルファンタジー』ではフォトリアリスティックな肌が披露されています。
『マトリックス リローデッド』ではまだまだ人工的だったCGの肌も、『レボリューションズ』ではより自然になっています。
極め付けが『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のブラット・ピットでしょう。
老け顔で生まれたベンジャミン・バトンの顔は100パーセントCGですが、多くの人が特殊メイクだと信じていました。
しかし、技術がここまで進歩してもまだ肌の再現は難しいと言われています。
それは人間の肌があまりにも身近な存在だからではないでしょうか。
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http://www.kotaku.jp/2015/08/its-not-the-cg-which-sucks.html
※続く
ところが同じ人間でも、これが遠景になると話は別です。
CGが一般的になる前は、大勢のエキストラを雇う必要がありましたが、今は最低限の雇用で、あとはコンピューターでつくったモブの人間にアニメーション付けまでできるようになりました。
「遠景の人間だけでなく、ゴリラやサメといった動物も違和感がない」とRocketJump Film Schoolは言います。
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水のCGが注目されたのは1997年の『タイタニック』。
爆発や炎、煙といったものは、作る人と前後関係にもよりますが、
「見れたもんじゃない」といったレベルのものは少ないです
(稀に、違和感ありまくりの寒い部屋での白い息といったものはありますが……)。
2011年の『ドラゴンタトゥーの女』の爆発シーンは、本物の火をCGの火の両方を組み合わせて作られていますが、気がつかない人がほとんどでしょう。
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そして、以前はCGの弱点として「物の重さの表現」が挙げられていましたが、
最近のCGアーティストは実際に俳優に演技をさせ、重量の表現のレファレンスを得た上でアニメーション付けを行ったり、
俳優からキャプチャーしたデータを当て込んだりしているので、多くの映画ではその問題はクリアされているとのこと。
その例として、ニール・ブロムカンプ監督の『エリジウム』や『第9地区』、
ルパート・ワイアット監督の『猿の惑星: 創世記』が挙げられています。
RocketJump Film Schoolが考えるCGの素晴らしさを1番痛感できる映画は、アルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』だそうです。
主演のサンドラ・ブロックが船内で宇宙服を脱ぐ有名なシーンは、サンドラ以外の全てがCG。
この他にも、サンドラ・ブロックの顔以外の全てがCGというシーンも少なくありません。
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「やっぱりプラクティカル・エフェクトは最高だ!」と観客に思わせた最近の映画といえば、ジョージ・ミラー監督の『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』。
しかし、この映画もCGが全く使われていないわけではありません。
舞台裏映像を見れば、背景にCGが採用されており、ミラー監督本人もCGに肯定的な意見を持っていることがわかります。
あのマイケル・ベイ監督も、CG一辺倒ではなく、プラクティカル・エフェクトとCGをブレンドさせているのです。
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※続く
RocketJump Film Schoolは、最後にこうまとめています。
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ソファにどっしり腰掛けて「CGが~」、「最近の映画は~」と言うのは簡単です。
しかし、それは映画の全体が見えていないというもの。
質の悪いCGがあるとすれば、理由は2つです。それは時間とお金。
VFXスタジオは仕事を得るために、常に他のスタジオと競争しなくてはいけません。
彼らは短時間かつ低予算という無理な要求をされ続けています。
しかし、VFXアーティストが1ショットに何時間もかけて良い仕事ができれば、彼らの仕事は完璧に映画へ溶け込むのです。
お粗末なVFXの名作映画というのは今も過去にもあまりありません。
それはなぜか?
良いストーリーや良いキャラクターといった魅力的な映画の場合、たとえVFXにアラがあったとしても、そこばかりを叩くことはしないからです。
つまり、VFXが原因で映画がダメになっているのではなく、映画そのものに問題があると考えるべきではないでしょうか。
映画という娯楽が始まった時から、VFXはアートの技術の1つとして確立されていました。CGはその中のひとつで、ストーリーを語る上での道具でしかありません。
そうにも関わらず、映画の評価を下げる原因として、やたらとCGは表に立たされています。
しかし、道具に責任を追求するべきなのでしょうか。
フィルムメーカーに賢い道具の使い方を求めるべきだと、私は考えますが、みなさんはいかがでしょうか?
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[RocketJump Film School via io9]
(中川真知子)
※以上
8(・ω・)8 CGだと分かったとたんにハラハラ感とかドキドキ感が半減してしまうのは事実じゃろ
それを承知でうまく使ってる映画もあるけどな
昔で言うとトゥルーライズとか今ではウルバリンサムライの新幹線とかあそこまで行ってしまうと笑ってしまうからOK
そういえばスピード2の豪華客船が最後突っ込むシーンは
マジで作って突っ込ませたんだよな
今見るとすげー違和感感じる
アニメの「王立宇宙軍」のロケット打ち上げシーンを見てみるといいよ。
この作品での氷の剥落は手描きアニメだから。
映画を楽しみたいのに映像を楽しみたいわけじゃない
作りの甘さがあってもまだ実写で頑張ってる方が作品として引き込まれる
絵画は人の手でかかれるから魅力的であって定規で描いたような線は全く魅力的じゃないのと一緒
あとは監督の力量と金の問題だけ
数秒見ただけでわかる
でもジュラシックパークのCGは驚いた
オープニングで本物の戦車を撮って一気に没入感を高めておいて
良い感じに暖まったタイミングでアレではぶち壊しだろうよどういう予算配分だよ?!
興を削ぐくらいならばっさりカットして下さいおねがいします。
巨匠クリント・イーストウッドでもやらかす時はやらかすんだなぁ・・・と、味わい深いシーンであったよ(´・ω・`)
使い方が上手いかどうかで
それが実写であろうが「CGかも?」と疑うだけで萎えるというか、
観客の心理から“アクションへの敬意”が殺がれてしまった現状自体が問題だと思う。
脚本だけの話でもないと思うんだよねえ
その結論で終了だと思うけどなぁ。CGはアナログ特撮と違くて予算=質、出来。
予算無いとどうしようもないんだよ。
アナログ特撮の時代は職人の力量で乗り越えられる部分もけっこうあったんだけど。
修正して・・を予算分の期間だけえんえん繰り返す。
映像として完璧になるまでやり続ける。
何ヶ月も。
予算が無いとすぐにとりあえず完璧じゃないけどそこで納品になる。
過程としてそういうもんです。
巨人」は軍艦島のミニチュアを多様したことはよかったと思うよ。
巨人はかなり厳しいけど・・
近年のCGより雰囲気あったと思うし、
飛行描写なんかも、ワイヤアクションの方が見応えあるよ
特撮だって下手な奴がやればチープに映るし
日本CGはいつまで経ってもセンスが磨かれないってことかいな?
CG以前に演技見ればお察しじゃん
リアルにやろうっていう気持ちがまずない
演劇をカメラで撮っただけって感じだからCGも書き割をCGで作っただけになる
一作目はCGは必要最低限だけにしてメインは役者同士の掛け合いで謎解き人間ドラマサスペンス
2~3作目で勘違いしてCGでアクション映像が大半占めた結果誰の記憶にも残らない凡作と化した
映像による再現性の高さを重視している人とで見方が違うだろうね。
後者が多いのかな。
スカーレットが満開のお花畑の径を駆けて来る描写があるんだが、そのお花畑がグラスアートの合成と知った時は仰天した。
CGも一緒で、要は使い方や使い処と、演出のセンスの問題だろう。
そう考えると、キャメロンなんかはCGの使い方がホントに上手い人だと思う。
CG自体が陳腐な技術になって驚きや新鮮さが無くなった。
必要最小限にとどめるべき演出だね。
視覚的リアルの追求ではなく、心因的リアルの追及が必要。
すべてのアートは心因的リアルからの共感が全て。
要は、映画はアートではなく、生産物に成り下がった。
CGをCGとして見せてしまうから違和感が生まれる
CGカットは一割ほどでしょ。
必ずしもCGでやる意味は無い。
日本はもっとジュラシックパークのアナログ特撮の上手さを勉強するべき。
アナログ特撮なら日本だって出来るわけだし。
いやそっちの方が無理w
セットやアニマトロニクスでずうっと全く太刀打ちできないから日本の特撮が廃れて
今CGが安価になったのでようやく何とか盛り返そうとしてんだから
最近よくある殴ったら遠くに飛んでいくという
質量を無視したワイヤーアクションが見ていて萎える。
(あれ、絶対マンがを参考にしてると思う)
ゆっくりでも重量を感じることが出来れば凄い衝撃だと感じることが出来るのに。
それだけじゃこの問題は解決しない気がする
元スレ: http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/moeplus/1439086084/
でもフィンチャーはCG使ってないようでゴーンガールでは雪を降らすシーンでさりげなくCG使って幻想的にしてたり作り込みと工夫次第でCGはいくらでも使い道あると思うけどね
ただガーディアンズオブギャラクシー見ててこんだけCGだらけならディズニーアニメともはや変わらないなとは思った
表現法の一つとして見るべきだろ
CGだからハラハラ感が無いって、それは撮影時のことを思ってであって、作品内での話じゃないじゃん
作品内の演出として見れば、CGだろうと実物撮影だろうが関係ないし
クオリティの低いCGが萎えるってのは、分かるけれど
でも今更CGなしの最新映画とかショボすぎて見れないじゃん…。(SF、アクションは特に。)
平成生まれでCG当たり前世代だから全く抵抗ないわ。
ドキュメントだと物語性が多少薄くてもOKなようにCGじゃないセットやミニチュアだと一段感動が高まる。そういうものじゃないかな。
ショボいCGは論外だけど、CGに何億って投じてる映画や、実現不可能なシーンだけCG当てはめてるのは別段冷めたりしないな
ストーリーを追ってるしキャラクターに感情移入してるから「ここにこんな撮影技術が~」とかまで頭が回らない
ショボい類いの例外としてメガシャークシリーズは古いアーケードゲームみたいなCGを楽しむ映画
基本的に同じシーンを撮るなら実物を使って撮るほうがCGで撮るより難しいから、実物>CGという感覚になるのは仕方ない
人はより難しいこと=希少性のあることに価値を見出すものだからな
CGが悪いとは言わないけど実際の物で撮るとやっぱ凄さを感じるんだよな。
平成ガメラを初めて見たときの興奮たるや。
あれだけ身体を張ってたトニー・ジャーがCG使いまくってたのはガッカリしたなぁ。
カンフー映画やアクション映画にCGを使われるとちょっと残念な気持ちになるけど、SF映画はむしろバンバンCGを使って良いんじゃないかな。
いうてもCG全盛でない90年代のヒット映画も案外酷いラインナップ
ソウルサーファーってサーファー映画で
片腕になったヒロインの撮影はCG処理らしいんだけど全く違和感がなく
どうやって撮影したんだろうと思わず調べたよ
ああいった映像の進化は素晴らしいことだと思う