冒頭シーンで歴史に残る格言等が出てくる映画について!
1: 名無シネマさん 2014/07/22(火) 08:24:22.41 ID:9490F1gx.net
アポカリプト 「文明が滅びるにはまず内部からの崩壊である」
プラトーン 「若者よ若いうちに楽しめ」
(博道の書)
他にもいろいろなものがあると思うんですけど 何かないですかね
ニーチェのその言葉は、確か「死の接吻」の冒頭にも出てた。
へぇ~、なんか嬉しい発見。
結構 精神的にくるというか、考えさせられる言葉だと思います。
>>1に挙げられてる3つのうち2つは誰が言ったか書かれていない
プラトーンは(博道の書)と書いてあって
映画内でも それしか出てない
聖書からですね
書かれてないのは3つのうち1つ
アポカリプトはちょっと覚えてないです
元スレ: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/movie/1405985062/
訴えてくるようなものもいいな
「宇宙空間には 酸素がない、気圧がない、重力もない、
生命は宇宙空間では生きていく事ができない」 みたいな
うろ覚えですが
「生きていくことで人は強くなる」という意味だったと思う。
映画では日本語字幕での説明だったと思う。
テレビ放送での吹き替え版では省かれることもあるが、最初観たときは
魔法使いの声ではなくコナン役の声優の声で語られていた。
「私が馬泥棒について書く時、その善悪について語らない。それは法の仕事である。」
チェーホフ
現在を支配する者が過去を支配する
国内盤のDVDやBDは出ていない。
出典はジョージ・オーウェルが書いた原作小説。
ただし現行の新訳版とは訳文が異なる。
「人は完全に自由でない限り、夜毎夢を見続けるだろう」ポール・ニザン
この映画が無かったら、ポール・ニザンなんて読む事も無かった。
深作欣二か
あ、邦画で思い出した
ベタかもしれんが
「たとえ10人の真犯人を逃がす事になろうとも一人の無辜も罰するなかれ」
それでもぼくはやってないより
ナインボールは番号順に球をポケットに落とす。
勝負を決めるのは9番の球である。
8球をモノの見事に決めても9番を外せば負ける。
最初 球をブレイクした時に9番を入れればそれで勝つ。
つまりナインボールは運のゲームだ。
だが時には 運も 芸術である。
格言じゃないけど好き
「もののけ姫」
神は滅亡を願うとき、まず人を狂人にする。
エウリピデス 紀元前425年
「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的な
ものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であって
いけないいわれがありましょうか」
リラダン『未来のイヴ』
「神が曲げたものを誰が直しえよう?」伝道の書
「自然は人間の挑戦を望んでいる。」ウィラード・ゲイリン
死人とは
旅をせぬほうがよい
アンリ・ミショー
武士道とは死ぬことと見つけたり
必死の観念 一日を仕切り 毎朝心身をしずめ
弓 鉄砲 刀に身を裂かれることを思え
大波にさらわれ 炎の中に投げ込まれ 雷電に打たれ
大地震に命を奪われ 千丈の崖から落ち
病に倒れ 主(あるじ)の死に切腹する覚悟を
日夜 自らを死に身と考えるべし
これが武士道というものの本分なり
『葉隠』より 主人公のモノローグで語られる
その者は狼のようなものである
その者は狼である
それ故に追放された者である
出典の明記なし
KOYAANISQATSI
ko.yaa.nis.qatsi (from the Hopi language), n,
1. crazy life. 2. life in turmoil. 3. life out
of balance. 4. life disintegrating. 5. a state
of life that calls for another way of living.
画面に出てくるのがラスト5分前だから変則的だが、作品の形態そのものが
変則的なので大目に見てもらいたい。出典の明記なし。
E・ロメール『緑の光線』
彼の敗北を喜ぶなかれ 世界がその畜生に立ち向かい阻んでも
そいつを産んだメス犬が又発情する
ベルトルト・ブレヒト
これはエンディングだけどS・ペキンパーの『わらの犬』
訂正『わらの犬』→『戦争のはらわた』だった
ミューズよ 戦いの技に優れ
長年苦境にある
放浪者の物語を
私を通して歌い、語りたまえ
格言ではないがせっかく見たので。
「我々は真実を追及する男の冒険を描いている 。主人公は勇敢な男でなければならない。」
レイモンド・チャンドラー
「人は野球に夢を求める。その野球の奥の深さには、いつも驚かされる。」
ミッキー・マントル
世界が待っている 飛び込め
別の世界を見よ
アウグスティヌス
地球の裏側で台風を起こす事もある
カオス理論
バタフライエフェクトより
カオスは未解読の秩序である 「複製された男」より
レイジング・ブル
そこでパリサイ人たちは盲人であった人を もう一度呼んで言った。〝神の栄光の前に正直に答えなさい。あの人が罪人であることは私たちには分かっている〟すると彼は言った。〝あの方が罪人であるかどうか私は知りません。ただひとつの事だけ知っています。私の見えなかった目が今は見えるということです〟《新約聖書 ヨハネによる福音書第9章24-26より》