映画『ゲド戦記』は本当に駄作なのか?
夜金曜ロードショーは『ゲド戦記』である。
宮崎駿の息子である宮崎吾朗が監督だ。
2006年の作品。ジブリ作品としては、2004年『ハウルの動く城』の次の作品である。
多くの映画レビューで酷評され、2006年のワースト作品だとも言われた。
第63回ヴェネツィア国際映画祭で特別招待作品だが評判は最低位ランク。
原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンも「原作の精神とはひどくかけはなれている」という声明を発表した。
さんざんである。
アニメ『ゲド戦記』は、そんなにも駄作なのだろうか?
クレジットには原案『シュナの旅』もクレジットされている。
『シュナの旅』は、宮崎駿が描いた絵物語。
たしかに『ゲド戦記』と『シュナの旅』を比べると、とても似ている。
ヤックルという動物と王子の乗る馬の姿が似ている。
その馬に乗って、王子が旅をするというプロット。
奴隷装甲車のデザインは、ほぼ同じ。
それ以外のさまざまなデザインやシーンが原案となっている。
だから、初監督作品に、宮崎駿作品レベルを求めるのが酷だと分かっていても、
ついつい連想し、比較してしまうのだ。
宮崎駿自身は「あとがき」で、『シュナの旅』は、チベットの民話『犬になった王子』(君島久子・後藤 仁/岩波書店)が元になっていると書いている。
だが、鈴木敏夫がインタビューの中で語っているように、『シュナの旅』は『ゲド戦記』の翻案でもあるだろう。
だから、“『シュナの旅』をそのままやったらどうか”と、宮崎駿自身が提案していたのだ、と鈴木敏夫は語っている。
ところが、
“宮さんという人はすごい人で、そういったことを自分が忘れちゃうんですね。
それで、映画を見たときに『シュナの旅』だったから驚いている。
なんなんだこの人は、と思って。自分でいったことを忘れてる、あれ”(鈴木敏夫『風に吹かれて』P216)
アニメ『ゲド戦記』は、『ゲド戦記』3巻「さいはての島へ」に、1巻「影との戦い」の要素を加え、さらに宮崎駿『シュナの旅』をミックスして、作られている。
ただ、それらのどの作品にもない完全にアニメ『ゲド戦記』だけのオリジナルなシーンがある。
それは、タイトルが出る前に描かれる部分。
王子アレンが、王様を殺すエピソードだ。
この作品の異様なところは、このエピソードが、タイトル以降、ほぼまったく語られないことだ。
王様が殺された後の王国の様子もまったく描かれない。
王を殺し逃亡した王子に、追手を放った様子も描写されない。
王子が王を殺した理由も判然としない。
王様は良き王として描かれていて、王子は、完全に、犯罪者であり、物語的に「悪役」だ。
ふつうの作劇なら、事情が描かれ、主人公に感情移入できるように仕向けるだろう。
だが、それをしない。
「わからないんだ。どうしてあんなことをしたのか」
「…お父さんにひどい事されたの?」
「いや父は立派な人だよ。ダメなのは僕のほうさ。いつも不安で自信がないんだ。
なのに時々自分では抑えられないくらい凶暴になってしまう。自分の中にもうひとり自分がいるみたいなんだ」と、
アレンとヒロインのテルーが語るシーンが中盤にあるのだが、
これでは、ただの「キレてしまった少年」だ。
この異様な構成が、作品にずっと影を落としている。
アニメ『ゲド戦記』のキャッチコピーのひとつは、「父さえいなければ、生きられると思った。」だった。
これだけそろえば、宮崎吾朗=王子アレンで、宮崎駿=王という連想をするなというほうが無理だろう。
尊敬する父を殺さなければ、何もできなかった。
タイトルが出る前に、父を殺し、そこから先は、父ではない自分の作品を創りだすのだという宣言のようにも解釈できる。
だが、主人公はいつまでも自信を持てず、生きる気力を失ったままだ。
父は大きく、その影響から抜け出せない。
もがき、苦しみ、そこから抜け出す後半が、勧善懲悪的展開であることと抽象的なテーマをそのまんまセリフで説明しちゃうのは残念だけど、
大きな父の影を異様な構成で描いているという視点で観れば、
めちゃくちゃ酷評するほどの駄作じゃないと思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/8440711/
元スレ:http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1390068432/
チョッと最初の部分を少し見ただけだが、
「思想(テーマ)」を登場人物の言葉で語り過ぎだな。
画面で語るという深みに欠ける。スグに切った。
君の物語にしていないだろうというような
単純に作品としては嫌いじゃないけど二度は見ない
だな
『のゲド戦記』だったら評価違ってたよな
のを入れると名作になるからな
去年のアニメ作品の中では「の」ん「の」んびよりが傑作だった 次点が進撃「の」巨人
映画としてはやっぱり色々ダメだよ。
てか、冒頭の父殺しが駿からの心理的独立表明なのが明らかなのに、
本編は駿作品の模倣シーンだらけとか…
その辺の矛盾を楽しむ意味では、興味深い作品ではある。
魔女の呪いだと思ってた
オヤジさんはセンスよく描いてる。息子さんは残念ながら逆。
・カリオストロ~車が崖のぼるか! 尖塔をピョーーーンって物理原則どうした?w
・ラピュタ~いやいやパズー何回墜落しとんねん。
・もののけ~あんたら死のドロドロ食らっとるやろ!w
・ゲド~崩れ落ちる城の石床を跳んで逃げ…られんやろ(ちょっと記憶曖昧…)
息子さんと世代が近いんで応援したいんだがなぁ…。
これて心に残るシーンが思い当たらん
感情が揺り動かされないから、見れるんだけど後に残るものがあまりないんだよね
2作品を足して3で割るとか…正解
全く同感!
かぶるキャラが多過ぎだ(笑)
取れてない、はっきり言ってお金を払う価値すらない、監督業は見る観客の事も
考えるべき、途中で見続けるのが、辛くなる。七光りではなく、修行をやり直せ。
悪いとも良いとも言えない。そんな映画。
敢えて言うと、キャラの重みが、無いというか何というか?
>王を殺し逃亡した王子に、追手を放った様子も描写されない。
>王子が王を殺した理由も判然としない。
>「わからないんだ。どうしてあんなことをしたのか」
>「…お父さんにひどい事されたの?」
>「いや父は立派な人だよ。ダメなのは僕のほうさ。いつも不安で自信がないんだ。
こういうのはわりと好きだ。
現実離れしてて、精神世界の嘘か本当か分からない感じが。
でそれが何かわからなかったらせめて旧作品と見比べてみて
たりない所はないか考えてから出荷しようぜ
逆の感想だな まだ自分というものを出せる余裕がなくて色が薄い作品になった
オファーがあってなんとか収められるクオリティのものをジブリ力を使って完成させたって感じ
俺はこれが面白いんだ!このシーン凄いだろ!って監督の気持ちが伝わってこない
でもアニメを通じて伝えたいメッセージがイマイチ伝わってこない。
風立ちぬの方がメッセージ性は強いけどね。
惰性でやっているのかな~ って感じ
あれじゃ七光りとか言われても仕方ない
説明っぽいだけだし
その割に説明不足なとこあるし
ジブリ語る前にその辺のアニメ映画と比べても相当駄作
だが声優をやらせちゃいかんでしょ…。
声優選定に関してはパパさんも結構やらかしてるとは思うけど、
ちょっと違った方向でののダメさ加減を感じちまう。
駄作じゃないものなんてあるのか?
当時、借りてみているにも係わらず、怒りがこみ上げてきたな。
長文書いたがやめた。
とにかく見るだけ時間の無駄。製作者の誰々が凄いとか原作がとかどうでもいい。
作品としてつまらない。何がやりたかったんだ?
息子としての意見をこの題材に込めたかったのか?私情もいいとこだ。
キャラクターに声が乗ってない。
それ以外も細かいのが多々あったはずだが、もう思い出せない。
当時8mmスレに書きまくった覚えがある。
日テレもやらかしてんなーというイメージ。
昨日のワンピースZよりかはマシな印象
スタジオ内の事情だけで人選誤るってなあ、最大の汚点だと思う
しかも問題なのは、もう二度と手が付けられない食材だったということ。
邪悪さを主人公に置いて、影を正義としようとしたなら、画期的だが、そんなこともない中途半端だった。
ゲド戦記を理解していないか、理解したうえでならエンタメ要素と時間尺に妥協しすぎ。
ただ、モブシーンの群集のセルが安易に使いまわされてるのが見ていてわかったから、ジブリスタッフも真剣に吾郎さんを支えていないのがわかった。
吾郎さんはかわいそう。
絵のテクニックが追い付いて行かないって方が好まれるんじゃないのかな
迫力があるかないかで考えると、このアニメは迫力がないな
パヤオ抜きの場合のジブリがどれだけ能力があるかのテストケース
<感想>
・原作知らないと登場人物の行動がイミフ
・コンテ切りが下手
・動きの演出が甘い
・声優は良かった
・映画にまとめるのはパヤオが断然優れている。
・良い監督さえ招けばジブリは存続できる
素材の魅力、効果的な広告、話題性、スケジュールに即したプロジェクトの管理は全て完璧に近い出来だよ
そのしわ寄せに中身は放り出してるけど
セールス手動の製品化事業にありがちな失敗