映画「沈黙」への思い!キチジロー役の窪塚洋介が語る
映画「沈黙」の記者会見に臨むマーティン・スコセッシ監督
原作者の故遠藤周作氏
「沈黙」誕生までの足跡などを紹介している遠藤周作文学館
「沈黙の碑」の前で映画への思いを語る枯松神社保存会の松川隆治会長
キリスト教禁教下の長崎を舞台にしたハリウッド映画「沈黙-サイレンス-」が21日、全国公開された。
故遠藤周作さんの原作を基に巨匠マーティン・スコセッシ監督(74)が温め続けた大作だけに反響は大きく、米アカデミー賞の撮影賞候補にも選ばれた。
信仰とは何か。
異文化との共存とは。
宣教師を裏切るキチジローを演じた窪塚洋介さん(37)のほか、映画を観賞した県内の「かくれキリシタン」の子孫、神父らに思いを聞いた。
-舞台となった長崎の印象は。
「出島やグラバー邸は何度も行った。全国どこでも同じ顔になっていく中、個性が強くて好きなまち。宗教や文化も入り混ざり、いろんなものが入ってきたことを肌で感じる」
-異文化の共存は「沈黙」のテーマでもある。
「作品は昔の話だけど、キチジローがいることで、現代にぐっとひきつけられる。普遍的な人間の弱さだとか、裏返せば強さがあると思う。マーティンが映画化に28年もかかったのは、キチジロー役が見つからなかったのもあったみたい」
-キチジローは誰もが共感できる部分がある。
「醜くて、ずるくて、弱くて、汚くて…。負の代名詞みたいな役。そうありたくないと思ってきた要素ばかりだけど、自分の中にないものではない」
「神様を信じたいけど、生きたい。でも、キリスト教をきちんと理解していないから、自分の気持ちに素直に従ってしまう。そういう矛盾は、今よりも子どもの時の方があった。そのイノセント(無邪気)さが懸け橋になった。今では言葉に出るけど、最初は感覚で探っていた」
-何度も踏絵(ふみえ)に応じるがどんな思いだったか。
「弱いから踏むととらえがちだけど、今思えば、キチジローはあの(棄教を拒否する集落内の)空気感の中でよく踏めたなとも思う。逆に強いんじゃないかという感覚に陥った。踏んでしまう弱さは、踏める強さと対極にある。作品自体が、すべて表裏一体。誰も間違っていないし、誰も正しくない。でも、神は沈黙していて、どこに答えがあるかというと、それぞれの心の中にある。まとめみたいだけど」
-映画は外国人にはどう映ると思うか。
「そう思って、ロサンゼルスでの試写会で『今の時代に踏絵をしたらどれぐらいのアメリカ人が踏むと思うか』と何人かに聞いた。答えは『ほとんどの人が踏む』だった。もちろん、そうではない信者もいるとは思うが、海外でもキチジローの訳の分からないパワーが通じるんだと感じた」
-窪塚さんが考える信仰の意義とは。
「自分はいわゆる一般的な仏教徒。宗教と言われてもぴんと来ない家で育った。宗教が周囲から教えられるものなら、信仰は、崖から落ちそうだったけど助かってよかったとか、誰に教わるでもなく、誰もが持っている感覚とかから沸いてくるものだと思う」
「そもそも生を受けた時点でみんな特別で、何万年戻っても何万年先にも同じ人間は生まれない。その命を自然の中で地球と一緒にまっとうするため生まれてきたとシンプルに考えると、その思いがつながり、戦争とか宗教のいがみ合いがなくなって、平和になるんじゃないかって。これは、ずっと思っていること」
窪塚洋介(くぼづか・ようすけ)さん 神奈川県横須賀市出身。
1995年にテレビドラマでデビューし、2001年の映画「GO」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝く。
ドラマ「GTO」「池袋ウエストゲートパーク」、映画「ピンポン」「凶気の桜」など出演多数。
04年の転落事故から復活し、レゲエ歌手「卍LINE」として音楽活動も行う。
続きはソース
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/cinema_news/article/304191
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/304217
あの映画どう見たらそうなるわけ?
異なるもの同士が接触したら
お互い変質するかさせられるかしかないっていう話にしか思えなかったよ
その時代の目で見てないからだろうな
十字軍に始まるキリスト教の侵略の歴史を見たら共存なんて言えない
今の日本の限定された現状なら共存と言えるかもしれないが
そうだよな
同じ人間同士でもどうしても相容れぬことがあるって話だった
共存なんて生ぬるいものが入り込む余地なんかない
乱暴にいえばつぶし合いだよな
踏み絵って日本人だから踏めないのであって
キリスト教徒なら全員踏める。
踏むのが正しいキリスト教徒。
それが日本人には分かってなかったという話。
配役が一つのポイント
キチジロー役は従来しみったれた小狡い一見してカスみたいな容貌の男を
配役するが、それだと人間の弱さの普遍的象徴には成り得ないのであえて容貌に秀でた
窪塚を配役した
井上役はもっと知的でカリスマを持ち静かな威厳に満ちた人物を想定してしまうが
井上自体は主人公にとって真の敵ではないので凡庸な人物をあえて配役
俺は井上様はイッセー尾形以外にあり得ないと思った
モキチも然り
だがキチジローは違う。浅野のほうにすべきだった
原作でも井上は小柄で一見柔和な猿みたいな老人だぞ。
しかし、汚くて狡くて、どうしようもない弱きものの象徴として、
原作通りに描くなら香川あたりだな。
コメント
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コメント (2)
あー、確かに香川だわキチジロー
藤原竜也でもよかったな
キチジローはどこにでも現れて主人公を試す天使としての側面を持ってる。ただズルくて弱いだけのキャラじゃない
どんなに汚い格好しても目がキラキラしてる窪塚は当たり役