【映画】倉田保昭、ブルース・リーとの2ショット写真を手に思い出振り返る/映画『李小龍 マイブラザー』公開初日トークショー
ドラマ編となる映画『李小龍 マイブラザー』。この作品が7月13日に公開初日を迎え、
新宿武蔵野館で行われたトークショーに、和製ドラゴンと呼ばれるアクション俳優の
倉田保昭がゲストとして登場した。
本作は、ブルースの実弟ロバート・リーが製作総指揮をつとめ、
ブルースが渡米する前の青春時代を描いた作品。
家族しか知らないエピソード満載で、「ブルース・リーを題材にした
映画はこれまでたくさん作られてきたが、
彼の人間的な部分が描かれた本当の物語を残したかった」という思いから誕生した。
一方、倉田は1971年、香港ショウ・ブラザーズ社『悪客』で香港映画デビュー、
一躍香港映画界でブルース・リーと並ぶスーパースターとなり、
これまでの香港映画出演作品は100本を越える香港映画通。
ブルースにまつわるエピソードを語れる唯一の日本人と
言っても過言ではない。
(>>2以降に続きます)
ソース:IBTimes
http://jp.ibtimes.com/articles/46623/20130713/1373672700/page1.htm
http://jp.ibtimes.com/articles/46623/20130713/1373672700/page2.htm
画像:ブルース・リーとの2ショット写真を手に思い出を語る倉田保昭
元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1373747460/
そんな倉田が明かしたのが『ドラゴンへの道』のラスト。
チャック・ノリスとの決闘シーンの撮影を見学したことを振り返り、
「私がショウ・ブラザーズでやっている立ち回りと違いましたね。
“受け”が全くない。相手が入ってきたら蹴り、入ってきたら突き。全く隙がなかった。
あの頃が一番いい状態でしたね。
あれが、ブルース・リーの真のキャラクターです」とコメント。
また、この日は特別にブルースと握手を交わしている写真を披露。
この写真は1972年に『ドラゴンへの道』の撮影に向かう際に、当時の景徳空港で
撮影したものだそうで、「本当に、細いし大きくないんです。あの体でどんな相手にも
立ち向かっていたんですよ」と倉田は当時を振り返った。
さらに「ここだけの話……」と切り出すと、ブルースと『燃えよドラゴン』について
話した際に「彼は、緊張しすぎて撮影に行きたくないと言っていました。
それと同時に、『燃えよドラゴン』が最後にアメリカに復讐するチャンスだからと
言っていたので、さらに気合が入って緊張していたのでしょう」と話した。
最後に、日本のファンへのメッセージとして、「香港では、今でも銅像が作られるほど、
ブルース・リーの人気は全く消えてないです。日本はジャッキー・チェンの方が
人気ありますが、ブルース・リーが原点なんです。日本も、彼のことを忘れないでほしい。
それが私からの願いです」と締めくくっていた。
『李小龍 マイブラザー』は新宿武蔵野館
ほかにて全国順次公開中。 (了)
ヤン・スエは今アメリカに住んでるじゃなかったかな。
おかげで途中から土ワイ派になっちゃったよ
勝負して勝ったとか、ホラ吹いてるが
ノビーの兄ちゃんは実際にブルース・リーにあった事があるようだな。
燃えよドラゴンにも出演してるし。
いやいや
ノビーはアニキがブルース・リーにヌンチャク教えたと言ってるから間違いじゃないんじゃないの
体育教師役な。中学生相手にあのアクション。当時とても印象に残った。
ほぼB級作品だからなのか知らんけど、戦隊ヒーロー物の悪役みたいな
変な動きが好きです
主人公が白人や日本人をやっつけるから
言っていたので、
リーはこういう考えだとやっぱ反日俳優だったのか
リーが反日ってのはちと違うような
ブルース・リーはチャンコロなんだから、チョンと一緒だよ
日本人に対してとっくに国際法上決着がついてる第二次世界大戦のことでいまだに恨みを持つ一方
日本への憧れが強く、日本人をうらやましく思ってる
日曜朝から飛ばしてますねw
教えたのは倉田というのは嘘だと、知り合いのブルース・リーマニアが言ってた。
多少、使い方のアドバイスはしたかもしれんが
倉田のホラだよ。ヌンチャクを教えたのは、フィリピン系のダニー・イノサント。
「死亡遊戯」でブルース・リーとヌンチャク対決をしてる人。
ヌンチャクが元々日本のものって知らない人ってなんなの?
沖縄空手やヌンチャクがアジア全般に広まったんだよ
いや、「誰がブルース・リーに教えたか」って話だよ。
ヌンチャクが沖縄のものなんて、常識だから。
リーの映画に全部出れたのに
競演してたら世界的な日本初のアクションスターになったはず
千葉真田よりね
同時代に生きてたのに残念。
香港の年配の人なら誰でも倉田を知っているレベルだとか
リーが何か武器のアイデアを考えていたとき
ちょうど倉田からもらったってのは事実だろ。
いろいろ説があるんだよ。
イノサントがこれどうだってヌンチャク渡したが、リーは戦闘向きの武器じゃねえな。
って断ったとかなんとか。
チャック・ノリスのスレを見る度に、彼ならありそうだなと頷いていた自分が恥ずかしいわ。
ボスニアにも銅像あるんだよね
あの中国人の顔だけ覚えたわ
日本人の片桐竜次とか福本清三みたいに
沖縄ではヌーチク。
ヌンチャクは農民の農耕道具で
(籾殻取りとも馬具とも言われている。)
刀の無い農民がたまたま一揆の時とか
身の回りの道具で応戦したのが起源。
百姓怒らすと怖いべってね。
そうそう。石臼のひき棒だったトンファーと同じで、普段は「武器に見えない」ことが大事。
おおっぴらに武器っぽかったら、意味がない。
蹴り技ならハッキリいってブルース・リーを越えている
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