【アニメ】こうして愛知から「ガンダム」は生まれた!―“常識破りのプロデューサー”関岡渉氏に聞く!
1978年のある秋の日の午後。新宿ルミネ内の喫茶店内で数名の男がテーブル越しに顔を突き合わせていた。アニメ制作会社・日本サンライズ(現・サンライズ)の
制作スタッフたちと、当時、名古屋テレビ放送で制作部長だった関岡渉だ。
当時、名古屋テレビでは日本サンライズが制作する子供向けの巨大ロボットアニメを2本制作していた。
番組で活躍するロボット玩具の売れ行きは好調で、スポンサーの
玩具会社から「ぜひ3本目を」という声が出ていた。
3本目の名古屋テレビ側の担当は、それまでの東京支社から本社制作部に代わった。そこで関岡が東京に出向いて、3本目の企画会議に出席したのだ。
関岡にアニメ番組を制作した経験はもちろんない。
企画書を見せながらサンライズの担当者が切り出した。
「視聴者の対象年齢を引き上げたい」。
過去2作の成功で、サンライズは自社の代表作となる作品を作りたいと考えていた。
作品名が「機動鋼人ガンボーイ」と書かれていたこのアニメこそ、後の「機動戦士ガンダム」である。
主人公は暗く引きこもりがち。正義は敵味方どちらにあるか判然としない。
子供には難解なストーリー。従来のロボットアニメにしては非常識な企画だったが、関岡は即座に「OK。これでいきましょう」と言い切った。
路線変更も覚悟していたサンライズ側が拍子抜けするほどだった。
もし関岡が従来路線の維持を主張していたらガンダムは生まれなかった。
では、なぜ、関岡は”非常識”な企画をあっさり認めたのか。
関岡は31年生まれ。歴史が好きで将来は学者になりたかった。
大学院に進み明治政治史を研究した。
その後、女子高の社会科教師として教鞭をとる傍ら、論文を書いていたが、
名古屋テレビが開局に伴い社員を募集すると聞き応募したところ、
応募者6000人の中から採用された。
「僕が近代史を研究していたので、ドキュメンタリーでもつくらせようと思ったのかな」と関岡は述懐する。
制作部に配属されスポーツ中継、歌番組などあらゆるジャンルを担当した。
印象に残っているのは力道山のプロレス。
岐阜での試合を収録した録画中継を居酒屋で酒を飲みながら見ていたら、
自分が切り替えたカメラアングルのタイミングで、その都度、店内が沸いた。
視聴率60%。この瞬間、全国で6000万人が自分の撮った画を見て騒いでいるのかと思ったら、背筋が寒くなった。
■ ガンダムからフォークソングまで
歌番組も担当した。地方局には人気アイドル歌手を呼ぶほどの予算はない。
そこで、若者の間で人気が出始めていたフォーク歌手に目をつけた。
「チューリップやかぐや姫。みんな名古屋で歌った。ガロの『学生街の喫茶店』(72年)なんて、私が作った番組でヒットしたようなもんです」。
フォーク人気は名古屋テレビから始まった。関岡はそう確信する。
その頃、設立から数年を経た日本サンライズは他社製アニメの下請けに甘んじていた。
自ら企画したいと意気込むものの、東京や大阪の局には相手にされなかった。
そんなときに名古屋テレビと出会い、ロボットアニメが2本制作された。
79年に放映開始した「ガンダム」は過去2作とはテイストがまったく違った。
SF映画のような広がりを感じさせる第1話の冒頭に当時の視聴者はみな驚いたはずだ。
だが、当の関岡は、「大人向けにすると意気込んでいたわりには、そこまでいっていない」と、手厳しかった。
それでも、主人公がコクピットの中でモニターを見ながら
操縦するという描写は「非常にいい」と感じた。
(>>2へつづく)
元スレ:http://anago.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1369841007/
関岡氏はストーリーに口出しすることはほとんどなかった。
ただ、敵役「シャア」の扱いは気になった。
視聴者から局に投書が殺到し、人気ぶりに驚いた。
スタッフに聞くと、今後シャアは死んでしまうという。
「殺さずに再登場させてほしい」。これが関岡氏の数少ない要望だった。
「関岡はなぜガンダムの企画を了承したのか」という本題に戻ろう。
関岡は東京へ向かう道中、「幼稚園児向けはつまらないなあ」と漠然と思っていた。
それが企画書を見たら関岡の意を受けたような若者向けアニメ。
関岡が「即座にOK」した背景にはこんな理由があった。
当時、「宇宙戦艦ヤマト」をはじめ若者の間でアニメブームが巻き起こり、
ガンダムほどではないにせよ高い年齢層を意識したロボットアニメも存在していた。
関岡は「はやっているものを追いかけても面白くない。頭一つ抜け出したものをつくりたい」という考えだ。
なまじアニメに詳しくなく、流行を先取りしたいというテレビマンの
本能があったからこそ、ガンダムの可能性に気がついたともいえるのだ。
「僕がいなくてもガンダムは生まれたよ」。
関岡はこう言って笑うが、オープニングに掲載されるスタッフリストにはプロデューサーとして関岡の名前が燦然と輝いている。
戦国時代から現代に至るまで、名古屋の”非常識”が幾度も歴史の流れを変えてきた。
そう考えると、アニメの歴史を変えたのも、関岡の”非常識”な決断だったといえるだろう。
(了)
クローバーがつぶれたのはもっと後
一度ガンダムが3クール(39話)に短縮が決まった後に出したGメカの超合金はかなり売れて、クローバーが急遽再延長を申し出て結果として43話になったくらいだ
クローバーは「DX合体セット」が大ヒットしたから放送延長を要望したけど
既に打ち切り決定してしまった後で、覆らなかったんじゃなかったっけ?
いや、皆川ゆかのtwitterによるとそうじゃないらしい
http://togetter.com/li/477633
ガンダムが、1年52話の予定で4月からスタートして、結局、翌年、1月に全43話で終了したのは、周知の事実で、このあたりがすべての前提になるのだけれど。
どうも、今日出てきた話だと、最初から43話に短縮じゃなかったらしい。>続
承前>どうやら、初秋あたりの段階では3クール39話、年内終了ということで動いていたっぽい。
ところが、ガンダムDX合体セットが思いのほか売れてしまって、グローバー側が「やっぱり、4クールやろうと言い出した(^^;)
困ったのはサンライズ側。もう、短縮の方向で脚本も動いてる。>続
承前>とても4クールに戻すのは無理だという。でクローバー側は「じゃあ、1月いっぱいやってくれ」と。
それなら、お正月にガンダムを売れる。放送が年内で終わってしまうと、せっかく売れてるDX合体セットがもったいない。
結局、サンライズ側は変則的な43話で合意。現在の形に落ち着いた
本当はアバオアクーから、ジオン本国までの進行を描くはずが、
途中で終わってしまった。
それ以降、ジオンはしぶとく負けない国になったので、続編を
作りやすくなったのではないかと思う。
「こうしてスタートレックは生まれた」とか
飽きるほどやってんだろうな。
ジェイムズ・カーク役の人が、集まったファン達の私生活を心配するほど、
熱狂的なファンが多いって言うし。
あちらさんは、テロップのクリエイター全員暗記したりしとる
濃い人と一般人の差が激しい
「ニュータイプ」なる人間じゃない奴が乗って暴れ廻ってる戦場で闘う
ジオンの兵士はちょっと可哀想。
単にガルマの死後左遷されたまま再登場しないという話じゃなかったっけ。
あれほどの人気のキャラを使わない手はないということで、
再登場したのは聞いていた通りだが。
http://www.youtube.com/watch?v=tWbJxrzCFLk
http://www.youtube.com/watch?v=jV9pL0GRc-U
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=CzRh46XwUWs&feature=endscreen
そりゃ、毎年コンスタントに400億稼ぐタイトルだからなw
ジブリやエヴァでさえ、新作映画の興行収入+円盤売り上げを足しても
ぜんぜん届かないほどなんだし
1/1スケールのブルーティシュドッグのスゴさはともかく、
驚いたのが原画の数々だった。
正直、ヲタなら散々見飽きた絵や画ばかりなのだが、
一本の線の中でさえタッチが違っていたり、絵の具の厚さが感じられたり、
見に行って良かったと思わせてくれる展覧会だった。
もしも近所で開催されることがあったら、ぜひ行ってみてほしい。
やっぱ生は違うわ。
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