【映画】大島渚監督『戦場のメリークリスマス』はロバート・レッドフォードのキャンセルにより崖っぷちで完成した映画!
原正人氏(アスミック・エースエンタテインメント株式会社・特別顧問)の話を聞く会が行われた。
デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしの異色キャストを起用した同作は
大島監督の代表作の一つ。
しかし当初予定していた米俳優ロバート・レッドフォードの起用が、スケジュールの都合で断念。
その影響もあり、約600万ドル(当時約15億円:1983年当時の1ドル平均=250円として計算)の製作費集めに苦難した。
原氏は大島監督から「50歳を過ぎたら世のため、人のために働くものである」と口説き落とされて海外での出資者探しに協力することになったという。
原氏は「大島さんが自宅を担保に1億円を用意するなど奔走したが難航。
結局、ニュージーランドでロケをすればタックス・シェルターによる税制優遇措置と、
政府からの助成が得られると提案されて同国のラロトンガ島で撮影することに。
それでも資金が足りなくなり、クランクイン直前、先に送りこんだスタッフを全員
撤収させようというギリギリのところまで追い詰められた」と製作危機にあったことを明かした。
最終的に最悪の事態は回避され、撮影は順調に進行した。ただ、“戦メリ”のメイキング映像は一切現存していない。
実は、原氏が撮影現場にメイキング班を送り込んだが、
ボウイが他のカメラが入ることを拒否したのだ。
原氏は大島監督に交渉したが、首を縦に振らなかったという。
(>>2以降に続きます)
ソース:シネマトゥデイ
http://www.cinematoday.jp/page/N0053405
画像:『戦場のメリークリスマス』のプロデューサーだった原正人氏
(アスミック・エース エンタテインメント株式会社・特別顧問)
元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1369831152/
原氏は「大島さんも海外のスタッフと組むのは初めて。監督の威信を示すためにも、
ボウイが嫌がることから守らなければならないと思ったのでしょう」と異国の地で
多国籍スタッフを掌握することに腐心していた大島監督の心情を慮った。
公開後は作品を英国のナショナル・フィルム・トラスティ(NFTC)に信託譲渡し、
NFTCが10年間にわたり資金回収と利益配分を代行した。以降、原氏は黒澤明監督
『乱』(日仏)や篠田正浩監督『舞姫』(日独)などを手掛け、多様な国際共同製作のシステムに接してきた。
その経験を踏まえて原氏は「海外では完成保証保険も充実しており、
インディペンデントの人が映画を作りやすい環境、出資者が出資しやすい
ルールが整っていた。現在日本では文化庁が国際共同製作の助成などを
行なっているが、まずはそのお金で、システム作りを整える方が
先決なのではないか」と持論を展開した。
(了)(取材・文:中山治美)
当時の雑誌で読んだ記憶では、
R・レッドフォードとの交渉が不調に終わった後
(>>1とは違って、台本を読んだ上で気に入らないという理由だった)
デヴィッド・ボウイに台本を送ってオファーしたところボウイがいたく興味を示し、
「今ロンドンの劇場でエレファントマンを公演しているので良ければ観に来てください。楽屋でお話しましょう」
とボウイから呼びかけた。らしい。
>>74も書いているけど、レッドフォードが断ったのはスケジュールじゃなくて、
映画のストーリー上の問題。ただし>>74が書いたように気に入らなかったのではない。
レッドフォードはいい脚本だと思ったが、アメリカの観客の大半は、
このストーリーを理解できない。観客に愛されない映画には出るわけにはいかないと断った、頭のいい人で話はよく理解できたと大島は書いている。
ただし、スケジュールの問題もあったのを、大島が話を面白くしようとして、
書かなかった可能性は否定出来ない。
原作がイギリス人である上に、南アフリカ生まれで、父がオランダ系、
母がドイツ系、イギリスに渡って陸軍に入隊して、オランダ領員インドネシアで
特務部隊として太平洋戦争を体験、捕虜となるという複雑な人生を歩んだ人な上に、
暗喩に満ちた話なのでで、原作もなかなか難しい。
この話がアメリカで受けるとは到底思えない。
ボウイはメイキング以外にも、
・演技に専念したいと音楽担当を断った。
坂本龍一は逆に音楽を担当させてくれるなら出演すると交渉に答えた。
・「禁じられた色彩」は作品に合わないと主題歌にすることに反対した。
デヴィッド・シルヴィアンが歌っているからだとも噂されている。
ただしこの判断は正しく、大島は救われたと思う。
良い歌だと思うが、映画には歌詞が蛇足だろう。歌詞なしにしてよかった。
それならそれで凄いよな
どうやってブッキングしたんだろう
絶頂期はとうに過ぎていた。
ヒット曲は出ていたけど(特にアメリカでは)
やっぱ絶頂期は70年代中盤まで。
80年代のアルバムなんて聞けたもんじゃない。
知名度の高さという意味では当時が絶頂だろう?
70年代=最先端のアングラ・ロックミュージシャン
80年代=大衆迎合した売れっ子ロックスター
>>23じゃなくて>>58さんでした、スンマセン。
アカデミー賞に何部門もノミネートされたから大成功では、
監督が儲かったかどうかはしらんけど、上にも書いてあるように日英合作か
なんかになってるから日の目をみたとおもうけどな。
日本だけだったらアカデミー賞まで行ってないかもw
でも得体のしれないエネルギーは感じる
爆発しそうな狂気が漏れていた感じ
アイドル映画だよw
そういえば似てるなw
DVDレンタルが見つからず挫折した。
買うまでの興味はない。
悲情城市あたりと同じ扱い。
昔、悲情城市をみて初めて今で言う聖地巡礼したw
海外で日本絡みのイベントがあったら
とりあえず戦メリ流しとけ、みたいな勢い
ラルジャンやノスタルジア抑えてとってるのか。
楢山節考なんて今村昌平の中でも中の上くらいで
ラルジャンやノスタルジアほどの映画でもない気がするけど。
他にもエル・スールとかあった気が
賞なんてそんなもんだよ
黒澤の影武者もたけしのHANA-BIも彼らのバイオグラフィの中では上位の作品ではないし
メイキング見たかったな
実はボウイに相当ダメ出ししてたりして
異文化同士のコミュニケーションが取れないと言うか何というか、
そういう苛立ち、フラストレーションみたいなものの感じは出してたと思う。
コミュニケーションは取れていたが戦争が許さなかった、
あるいは戦争中でも友情は芽生えるということは描けていたと思う。
戦争と言っても捕虜収容所の話なんだけど、
服従か死かという結構シリアスな状況設定ではある。
ちなみに戦陣訓に従い、捕虜になったら死を選んだのはセリアズだったというのは、
自伝的要素もある原作なので、ちょっと格好つけすぎかなとは思うが。
それだけの映画
繰り返すが、本当にその通り
340: 名無しさん@恐縮です 2013/05/30(木) 12:49:27.89 ID:t1n57FFFI
なんか寒々しくて荒涼としている
日本人監督の日本映画なのに英国映画みたいな肌触り
夜間や室内のシーンが多い印象もあるな
夜光虫みたいな感じ
典型的な日本の農村のはずが、ベトナムや中国みたいにも見えるし、
役者も昔の人に見えないし。
海外向けだから、ローカルでない普遍的なのにしたかったのかな?
美術監督の特徴だと思う。
他の監督の「切腹」「怪談」「襤褸の旗」観る限り。
「山河あり」なんかも。全部極めて日本的な題材だけど。
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