信長は騙されやすい人だった!? 映画やドラマが描けない、戦国時代のウソホント
年号の暗記は嫌いだけど、試験に出ないような歴史の横道は大好き。
「実はこの人こうだったんだよ」なんて人間関係の裏側が見えたら、さらに大好物。
ときにはテレビや映画の演出に「史実とちがうのに~」なんて突っ込みを入れてしまう人におすすめなのが『教科書には載っていない!戦国時代の大誤解』
(熊谷充晃/彩図社)。
受験にはたぶん…役に立たないが、人生を楽しむ役に立つ雑学トリビアにあふれた一冊だ。
たとえば、かの有名な織田信長、比叡山焼き討ち事件。
武装勢力でもあった延暦寺の仏僧たちに服従を求め、最終的には山を片っ端から焼き払い、老若男女とわず皆殺しにしてまわったという冷酷な残虐性をあらわにする所業だが、これ、じつは「誇大広告」だったというのである。
調査によると焼失したのは根本中堂と大講堂だけ。
しかも生活拠点は別だったために、火を放った際は人もほとんどいなかったとか。
ほかにも、信長が「鉄砲を先駆けて使いこなしたためにのしあがった」というのも史実とちょっとちがうようで。
こちらも有名な、長篠の戦い。
柵をたて、その内側で火縄銃を準備する人、構える人、撃つ人の3隊にわけて応戦したため、絶え間ない銃撃戦が可能となった信長の策謀が光ったとされるこの逸話も、著者いわく“ファンタジーが膨らみすぎ”だそう。
さらには信長、どちらかというと人を信じ過ぎて痛い目を見る“いい人”だったという話も!?
……実際どうだったのかは、本書を読んでお確かめいただきたい。
そのほか、「最強と謳われた武田騎馬軍は存在しなかった!?」とか、「忠義の塊と語り継がれる三河武士は、実情は裏切りだらけだった」とか、ともすれば夢を壊しかねない事実が連発!
では知らなきゃよかったのか、というと、知ったほうがより面白さが深まっていくのが不思議なところだ。
たしかに明かされた史実をそのまま実写化すれば、画面の派手さはやや減るかもしれない。
だがそのかわり、領地のローカル憲法に「飲みすぎて吐くのは見苦しいから酒宴禁止」と書いた城主がいたり、茶器バブルが起きたせいで名器が領地のかわりとして取引されたりといった、意外な人間臭さや常識が浮かび上がってくるのだ。
事実は小説より奇なり。
わかりやすいスペクタクルはなくても、入り組んだ人間模様が歴史により深みを増してくれ、物語にも厚みが増す。
本当の戦国時代を知ればますます虜になっていくこと間違いなしだ。
文=立花もも
http://a.excite.co.jp/News/column_g/20160607/Davinci_010576.html
スレッドURL:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1465273071/
戦国武将の中では、かなり優しい部類に入るのは本当
自分に逆らない者には慈悲深いが
逆らう者は根切りw
逸話から末端兵士に優しく、大身武将には厳しいイメージだが、
まあ、上に立つ者として、当たり前って言っちゃ当たり前だがw
懐が広い
松永も風評被害が酷すぎるというか
最初から最後まで三好家の忠臣だったし
(信長裏切ったときも三好義継に付き従ってる)将軍暗殺も完全に三好三人衆主導で久秀は参加すらしてないし
信長からすれば父親の死は早すぎたようなだな父親死後尾張統一するのはそれなりに綱渡りだったからなw
地形を利用して小要塞を作っての迎撃だったようだな。3段撃ちも創作だったという
自由なピュアな精神の持ち主だったのは間違いないとは思うだからといって自分に逆らうものは徹底的に叩くってのも別に普通にあるとは思う
毛利元就なんかもねちっこくえげつないよなあ、なんかあちらは好々爺みたいな扱いされがちだが
元就はすぐ上に謀聖尼子経久が居て
すぐ隣にも西国無双の陶晴賢を抱えた大内家があったからな余裕ぶっこいてる場合じゃなかったから仕方ない
信長も本家との争いに北に蝮、東に東海一の弓取り
岐阜に移れば東は最強武田、北から軍神上杉
果ては信長包囲網
悪人に見えて意外といい人そう・・・・尼子経久
ちゃんとしてれば良くしてくれる人・・・・蒲生氏郷
独眼竜正宗のせいで悪人になってる人・・・・最上義光
信長って要は地方の金持社長みたいなもんじゃん尾張は古事記の時代から名前の出て来る穀倉地
信長の時代は米=収入の時代
つまりちょい豊かな地方の金持社長
そうなると大体人物像が見えてくるだろう
明治維新とかいって実際は大したことないのに東京より西日本の方が凄いみたいなホラッチョに信憑性を持たせたいだけなんだよだってそんな端しっこに住んでる田舎者が凄いわけないじゃん普通に考えて
茨城=常陸の国も穀倉地帯だぞ
もちろんあったのはあっただろう
籠城戦では当然そうせざるを得ないわけだしねただ、野戦で継続的に使えるかと言えば疑問符が付くだけで
まあ、信長の3段撃ちは、当時は、普通に知れてる事実だったろうな。ただ、資料として記録が見つかりにくいのは、
ひょっとして、徳川時代にその「戦術」を脅威と感じて、幕府がその記載を許さなかった可能性があるな。
ま、すでに述べたが、
現在の戦術・戦略に長けた人間でも「当時、そんな上手い戦法を考えたハズはない」と決め付けるヤカラが多いのに、
江戸時代の小説などで、そういう戦法を始めて開陳したら、「この作者、アタマは大丈夫か?」と思われるのがオチ。
別に「信長は3段撃ちした」と書かなくても、普通に「大量の鉄砲を重ね撃ちして勝った」で済ませばいいだろう。
今と違って、映像も写真も情報伝達も限られていた時代は、戦乱がおわり数十年経つと、リアリティーはほぼ損なわれる。団塊どもですら、戦争が何かもう分かっていなかったではないかw
3段撃ちは、物理的に無理、って聞いた事があるけどな。
コメント
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コメント (2)
当時の天皇(正親町天皇だったと思う)を譲位させたっていうのも、資金不足で譲位したくてもできなかったところに資金援助してあげただけらしいと学術書で読んだ覚えがある。感謝されたみたいよ。
割と常識人っぽいよね信長。
三段撃ちは猛訓練に猛訓練を重ねてやっと実戦レベルにできる超高等戦術って聞いた
合理性についてはむしろ低いっぽい