映画 FAKE【ネタバレ|感想|評価|評判】佐村河内守 主演!ゴーストライター騒動で日本中の注目を集めた騒動のドキュメンタリー
1: 名無シネマ@上映中 2016/04/02(土) 22:33:26.36 ID:1A2ldvfq.net
試写会行ったが結論
この壮絶な暴露で佐村河内が○んだら責任取れるんだろうな森!
映画のヒント・ラスト20分、森のくつした、ソファーの下にカメラ仕込む、隠し撮り
隠しカメラ見つけたときの佐村河内の発狂シーン
これだけで飯三倍食えるw
宮台真司の『FAKE』評 限りなくネタばれに近いこと書いてます。
この映画の試写を見る条件「ラスト12分を誰にも話さないで下さい」の枠内で言いますと、
観客が「佐村河内氏には無理だろう」と思っていた営みを、森監督の提案で佐村河内氏が大々的に展開し、その姿を映画が見事に記録するのです。
それを見た観客は狐に摘まれ呆然とします。
疑問1:待ってくれ、だとするなら、佐村河内氏は、なぜもっと早く──例えば新垣氏が最初の会見をした直後から──この姿を人に見せなかったのか。
疑問2:待ってくれ、だとするなら、なぜ新垣氏が必要だったのか。
http://realsound.jp/movie/2016/05/post-1637_2.html
ここはネタバレ良いんだよね
最後のが茶番なのは確定とみるけど、
佐村河内の合意の元なのか
知らせずに森側で曲を外注して乗っけたのか
作曲すること自体があまりに出来すぎた流れだったから前者かな
もしかしたら奥さんが作曲に・・・ってのを示唆したんじゃね
意味深にしただけで特に証拠とかはなく、語るネタの1つ程度と個人的には思うけど
弁護士の話とかを聞くと新垣サイドも胡散臭く思えてくる
取材も拒否してるし
佐村河内氏がわりと好感を持てる人物なのも意外だった
単純に鼻歌で作ってるようなレベルではない
あそこまで出来るなら作品の核となるコンセプトを
音楽として共作者に提示することも可能だったと思う
弁護士の元にはちゃんとそういう音源も残ってるらしいし
この映画で騒動がすべて終わると良いな
マスコミ批判だったな。
基本的な作曲は出来る。
交響曲のようなものを
具体的に譜面にまではかけないので、
新垣に書かせてた。
これなら、作曲は本人、
新垣は代書屋みたいなもんだから、
どっちの話も拡大解釈はあっても嘘ではない。
それをいいネタ見付けたと
ショーアップして反論のスキも与えず
追い込んだマスゴミ。
自分から見れば楽器など弾けないも同然みたいなロジックで増長していったんだろう
新垣はアカデミックな技術で権威性を付け加えるような役回りだったんじゃないだろうか
てか聞いた感じでは交響曲である必要ないとも思うが。
ゲームミュージックや何かのBGMの類いには適したメロディとは思うよ。
誰か解説して
観てきたよー
え?
靴下気にならなかった?
ラストシーンのいいとこで森達也の靴下が映ってたじゃんw
あの猫の存在がなければこの映画の妙な明るさはなかったと思う
佐村河内が〇〇してるシーンですとは言えない
そのシーンで映ってるもので言えるのは
あの森達也の靴下でしょw
一応カタルシスのあるあのシーンで画面に映りこんでしまった靴下は
強烈な違和感があったからそれをネタにしてしゃべってるのでは
そういうことだわな
大絶賛の嵐ですが
この映画の「何がすごいか」をわかって発言している人が
何人いるかがはなはだ疑問
ラストの「アチャー感」「やっちまった感」「観客のいたたまれなさ感」がすごいんですよ
ひどいんですよ、曲が。
商業レベルものを作ってた人のもんじゃない
それを延々と拷問のように聴かせられる
わかってない人がいるのも当然で
ゴーチ本人、奥さんもそれに気づいてないんですよ
逆に自信満々に奏で、うっとりしている
それが逆に痛いんですよ
最後の最後に
そうとも知らず、本人が爆弾に着火して
爆発する映画です
そういう感想を抱く人もいればそうでない人もいるだろう。
俺は違ったなー。
131のいう商業レベルてのは新垣がやってたんだろ。
音楽的才能の話とは違う話のような気もしたけど。
障害の事とか、真偽とか、色々と要素はある。
>>139
まあ解釈は人それぞれです
ただ私はそうみましたね
そうみないと
あのラスト
箝口令引くほど衝撃でもなんでもない
普通の人はポカーンだと思う
ゴーチもやりゃあできるじゃん、の認識で
終わる
児戯に等しい作品を?
そうです!
観客は観てはいけないものを
観てしまった
だからこの作品は
すごいんです
曲のクオリティについては素人なんで別に文句はなかった
なんでヤラセと思うワケ?
違うと思いますよ
この作品、変なたとえですが
刑事コロンボのラストみたいなもんです
はからずも犯人が得意げに喋り
気づいた時はすでに遅し
それが決め手でお縄
考え方によっては佐村河内に作曲をさせた時点でやらせなわけで
森達也が佐村河内を被写体にしなければ彼は作曲すらしてない
思いっきり被写体に干渉してるわけでそれはやらせであり演出でしょ
それをあえてやるのが森達也の手法
ポリフォニーとかジョンケージとかフーガとか羅列してたけど、
アウトサイダーアートだろあんなん。
よく新垣は理解できたな。
それともまともに読んではなかったのかね
終盤で森側から行動の指針を提案した時点から、fakeもう完全の別作品になってる。
これは森達也の過去作に共通する仕掛けだけどね。
オーソン・ウェルズのフェイクとの関連も深読みっぽいし
町山評は少なくともあのラジオ枠でやってるやつは信頼出来ない
前にもすっかり騙されたことがある
というのは深読みしすぎ?
それまで本人が出てこないシーンは客観的に撮ってたよね。
作曲や演奏そのものを否定するのか?
監督はそういうレベルのやらせはしてないって言ってるし、
あれが全部嘘ならつまらなすぎるよ
新垣が言っていた言葉が常識的な意味においてはデタラメだったと思わせるインパクトがあの映像にはある
しかしそこが奥さんがスマホで撮影したものであるらしかったり
作曲に取り組み始めたらしいのに森達也自身がなぜ撮影する気にならずに離れていたのかなどは疑問だ
とか笑わせてくれる
このネタバレ知らずに観た方が楽しめると思うよ
そういう意味でネタバレ禁止の宣伝は間違ってないと思うけど
鼻歌でアイデアだけはたくさんあったんだけど
アレンジに手をつけ始めていい感じになってきた
これからしばらくは真剣に取り組んでみようと思ってる
元スレ: http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/cinema/1459604006/
コメント
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コメント (6)
あのA3用紙、じっくり見たかったなー。
曲の冒頭がケージ風(無音)みたいなことが書いてあって笑った。
神山典士の「残酷なるかな、森達也」。
これが、いちばん的確なこの映画の評価でしょう。
http://blogos.com/article/178313/
>神山典士
取材からも逃げてたでたらめおっさんか
「豆乳大好き♥」あそこ、面白すぎた。
131 重要なポイントを付いている。
まさに、その曲を我々がどう判断するかが大事。
テーマは明確。メディアとメディアを通じて真実かどうかを判断する我々。
我々は物事を判断評価するとき ほとんどの場合周辺の情報や文脈、他人からの評価といったもので判断する。 この映画では最後のみんなが知りたい「ゴーチは作曲できるの?」の真実に対して作曲のシーンをみせ、曲を聞かせてくれた。 我々はこの曲で判断せざるおえない。
その曲がいい曲なのか、ダメな曲なのか、それともそれ以外の曲なのか、
我々は何で判断するのだろうか?
音楽の教養があれば、その人なにり判断できるはずだ。
でもそうじゃない人が多数だ。
判断する材料がなく戸惑うだけの人が多数だ。
そんな我々視聴者の判断力のか弱さ、曖昧さを体験させ、浮き彫りにしたラスト。
いろんな見方ができるけど
情報を消費する我々の脆さ という視点でみると
非常に挑発てきで、刺激的で、体験的な作品である