【映画】『グレムリン』はもっと残酷でグロいはずだった!?学生の脚本をヒット作に昇華させた、スピルバーグのプロデュース術
“グレムリン”の起源をご存知だろうか?恐らく厳密に遡ると、世界各地のゴブリンや妖精などの民間伝承にたどりつくのだろう。しかしこの名称そのものに限定するならば、これが一気に世に広まったのは意外と近年になってから。それも第二次大戦の最中だというから驚きだ。
当時、英米の空軍パイロットの間では、機器に不具合が生じると「グレムリンの仕業だ!」とまことしやかに語られていたという。その逸話は「チョコレート工場の秘密」などで知られるロアルド・ダールによって絵本として出版されたり、またワーナー・ブラザーズのマスコットである「バックス・バニー」のアニメーションの中で扱われたこともあった。
飛行機、不具合、謎の生き物――――。80年代をよくご存知の方なら、ここである一本の映画がすかさず脳裏をよぎることだろう。そう、懐かしきオムニバス映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』(83)の第4話だ(監督を務めたのは『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラー)。これは飛行機恐怖症の男が、旅客機の外で悪さを繰り返す怪物の影を目撃するというストーリー。男は「得体の知れない怪物がいる!」と騒ぎ立てるのに、機内に入る人間は誰一人として信じてくれない。まさにこのエピソードの製作と並行して『グレムリン』は準備段階を迎えていたわけで、さらに両作はどちらもスティーブン・スピルバーグによるプロデュース作。これらの状況を考えるとお互いに影響を与えあっていたのは当然だし、観客がこれらを「グレムリンをめぐる姉妹編」として受け止めるのも可能なのかもしれない。
きっかけは、大学生が執筆したサンプル脚本
さて、80年代初頭、この肝心の『グレムリン』の原案がハリウッドに持ち込まれた背景には、一人の大学生の挑戦があった。当時、ニョーヨーク大学で映画製作を学んでいた彼の名は、クリス・コロンバス。のちに『ホーム・アローン』で監督デビューを果たし一躍ヒットメイカーとなる逸材である。
そんな彼が業界への売り込み活動の一環としてこしらえたのが『グレムリン』のサンプル脚本だった。これはつまり、「私にはこんな才能、能力がありますよ」と業界内の要人にアピールするための材料である。もちろん、本人的にこのまま映画化されるなどとは夢にも思っていないので、あらすじや部分的なライティングのみで構成された極めて簡易的なシロモノだったという。
このサンプルはハリウッドに出回り、それなりに注目を集めたものの、なかなか買い手がつかなかった。だが、ここでコロンバスの人生を一変する出来事が起こる。かのスピルバーグが「これは面白い!」と歓喜し、その才能を高く買ってくれたのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba2f0ff433ce72a56604febb44aaafcd311e0335
5/5(水) 17:03配信
https://www.youtube.com/watch?v=RGLoLphCeGI
Gremlins Theme HD
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しかしながら、『グレムリン』は一つの大きな問題をはらんでいた。コロンバスの手によるオリジナル脚本は実際の完成版とは比べものにならないくらいのダーク・ホラーであり、笑えるシーンはありながらも、とてもじゃないが子供には見せられないグロなシーンに満ちていたのである。
一方、監督として抜擢されたジョー・ダンテも、当初、この脚本のダークな描写に「わっ!」と驚いたという。例えば、オリジナル版にはグレムリンがマクドナルドを襲撃して、ハンバーガーではなく客を食べるというとんでもないシーンがあった。
そして今や伝説となった自宅のキッチンにおける「ママVSグレムリン」の奇妙奇天烈なバトルも、オリジナルではママが敗北するどころか、主人公ビリーが帰宅するとママの首が階段からゴロンと転がり落ちてくるというギョッとする描写が盛り込まれていたとか。その上、グレムリンたちが愛犬をクリスマスの電飾で飾り付けるどころか、ワイワイ言いながら食べてしまうシーンもあった。
これらを映像化するとすれば選択肢は二つに一つ。このオリジナリティを尊重して、低予算のまま、マニア向けのホラーとしての道を突き進むか、あるいは大幅に脚色して大衆路線へ舵を切るかだ。そして仮に本作でグレムリンの特殊造形に重きを置くとするならば、スタジオから多額の制作費を確保する意味でも、ファミリー向けに脚色するしか道は残っていなかったものと思われる。
となると、ここからが大変だ。スピルバーグやジョー・ダンテら作り手たちは、オリジナルの脚本をたたき台として、そこにまた新たな脚色を加えていく多大な労力を求められることになった。
ダーク・ホラーがホラー・ファンタジーへと変貌する過程
ジョー・ダンテは当時の映画作りについてこう語る。
「この前代未聞の映画の前では、事前の周到な計画など何ら意味を持たないことに気がついた。むしろ大切なのは、現場で感じた“面白いもの”“楽しいこと”を見逃さずにつかまえて、きちんと形にしていくことだ」
この映画が当初の「ダーク・ホラー」から「ホラー・ファンタジー」へと変貌していった背景にも、そういった現場での即座の判断が多分に影響したのは言うまでもない。
そして、モグワイやグレムリンという未知なる生き物を、パペット人形にて表現したのも勝因となった。脚本上では凶暴で残忍なグレムリンであっても、パペットで表現するとどことなく可愛らしさが生まれる。その緩衝性によってホラーの度合いが当初の脚本よりも柔らかくなったというメリットは極めて大きい。
これがもしも数年遅ければ、スピルバーグは『ジュラシック・パーク』(93)に向けて早々に大規模な技術改革へと着手し、パペットはCGへと置き換えられていたことだろう。そうなると『グレムリン』もオリジナルに近い生々しさが前面に出て、緩衝性が薄れていたはずだ。本作はある意味、アナログな技術によって救われたと見るべきなのかもしれない。
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急遽、現場で飛び出したアイディアがまかり通って、オリジナル脚本とは全く異なる展開を歩み始めたケースもある。中でも有名なのが、あの可愛いギズモの命運である。
というのも、当初の予定では、ビリーのもとへやってきたギズモそのものが、やがて邪悪なグレムリン “ストライプ”へと変貌するという設定だったのである。つまりギズモは中盤から消滅し、全くの「出番なし」となるはずだったのだ。
が、ここで鶴の一声をあげたのは製作総指揮のスピルバーグだった。「あんなに可愛いギズモが途中でいなくなってしまうなんて、もったいない!」と感じた彼は、ギズモを最後まで出演させるという展開へ差し替えたのである。なるほど、この効果もあって本作はどれだけグロテスクなシーンがあろうとも、そこにギズモの可愛らしい表情を一瞬差し込むだけで不思議と中和してしまう魔法を手に入れたことになる。
が、これによって技術チームにとって新たな悩みの種が増えることに。ギズモが最後まで生き延びるとなると、主人公ビリーらと共に一緒に移動するシーンが必要となる。そして、手足の短いギズモは歩いたり走ったりできるタイプの人形ではなかったのである。
そのような動きをさせるのは技術改革が必要だ。時間も手間もかかる。そこで一計を案じたスタッフはギズモが歩かなくていいように、彼をビリーの背中のリュックに入れて移動することを決めるのである。こうすれば、後はリモコン操作で上半身を動かしておくだけで事足りる。
これは現場のとっさの判断だったかもしれないが、しかし面白いことにリュックからちょっとだけ見えるギズモは、逆に観客の胸を大いにくすぐる存在となった。こうなるともはや主人公の地位もビリーからギズモへと譲渡されたようなもので、本来ならばビリーがとどめを刺すはずだった最後の一手も、完成版を観ると編集によってすべてギズモの活躍へとまるっきり差し替えられていたのだとか(これもスピルバーグによる指示だった)。主演のザック・ギャリガンにしてみれば大変悔しい結果だったに違いないが、しかし映画にとってはこれで大正解。ギズモをアイコンとした一貫性を手に入れることで、見事なまでに子供から大人まであらゆる世代が魅了されるファミリー向けエンタメ作へと昇華されたのである。
本作はこのような経緯を辿りながら、当初のダークなホラーの質感は薄められ、上質なファミリー向けのテイストに生まれ変わった。しかしそれでもなお、観客や批評家の中には「あのシーンは暴力的すぎる」「このシーンはグロテスクすぎる」と眉をひそめる人もいたのだとか。
こういった批判が出るのは、当時のアメリカのレイティングがPGとRしかなかったから。『グレムリン』はPG(子供の鑑賞には保護者の同伴を推奨)扱いで公開されたのだが、なるほどこの曖昧な尺度では、結果的に「子供にとっては残虐すぎる」という声が出てしまうのも当然なのである。
奇しくも全く同じ指摘がなされたのが、同年公開の『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』だったという(そういえば猿の脳味噌シーンなどがあったなあと、、)。ともにファミリー層を動員して大ヒットを記録したからこそ巻き起こったこのレイティング論争。これら二作をきっかけに、アメリカ映画協会(MPAA)は新たにPGとRの中間となる「PG13」を新設して、より多様な観客のニーズに応えるべく対応するようになったのだとか。
このようなエピソードからも、1984年という年代がいかに表現の過渡期であったかが伺える。ジャンルの垣根などもはや意味をなさず、若い世代によって予想をはるかに超える創造力が次々と炸裂していた当時の映画界。『グレムリン』はそんな時代を率先して突き進んだ、まさに代表選手のごとき一作だったのである。
この映画を楽しめるのはサイコやシリアルキラーのような連中
マジか
最近観たけど、冒頭の骨董品屋の時点で面白かったけどな
「ドラゴンのような口臭」とか、なんちゅう表現やねん
あのあとどんな怪我したんだろとかすげえモヤモヤする
電子レンジが怖い
<丶`∀´><とんでもない話ニダ
やり方がエグくてホラーの殺人鬼とかも真っ青
グレムリン界では悪さするとママが来るとか言われてるに違いない
キングコングは黒人だし
猿の惑星も日本人
グレムリンは日本人がモデルと言われていたな
可愛く従順な奴だと思っていたのに豹変しやがったと
今は米国VS支那だが、その昔は日本も経済大国と
持て囃されていた時もあったんだな
日本が経済大国だったときに
あれこれ賢く生きればよかったのに
やったことといえば美術品の買い漁りとか東南アジアで買春ツアーとかだもんな
それが味といえば味だがゼメキスなんかと比べちゃいけないレベルだな
ゼメキスはロジャーラビットがあるからな。狂気と恐怖と笑いをちゃんと作れる人
ジョーダンテがやりたかったけど出来ないことをゼメキスはやれてしまう
おかげでいまでもグッズが爆売れしてるし
あのテーマ曲はゴーストバスターズのテーマと同じくらい映画を救ってる
●主人公は老人
●主人公の娘(妻じゃない)が働く企業は本当の悪徳会社だった
●テロリストは金のためでなく、信念で動く若者
●主人公の娘は悪い仕事の報酬としてもらった腕時計が引っかかったまま最後死ぬ
映画はネガティブな部分をすべて作り変えてハッピーエンドにしている
ジュラシックパークだって、自分は少年と恐竜のふれあいを軸にしたハートフル動物ものだと思って観に行った…
オバンがリフトに乗って家から吹っ飛ばされるシーンとか、父親が丸焼きにされる話とかヤバいけども
変身前はかわいいギズモちゃんなとこだろ
フィビー・ケツはプライベートスクールがよかった
それはバタリアンだよ
脳みそクレクレ君
ケビン・クライン(73)と年の差婚か…
タッチ軽いけどわりと結構死んでるんじゃないかと
関係作は面白いが
監督作は面白くない法則
それと近い時代だったと思うけどバタリアンとかスペースバンパイアとかスイートホームのグロさは無理だった
角川春樹と同じ問題をいい加減なんとかしろ
名前で金集めた奴が一番偉い
映画の作りは基本ホラーなんだよな。
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コメント (2)
原作に忠実になグロ全開バージョンも見てみたい
フィービー・ケイツのセリフ
「クリスマスなんて大嫌い」が忘れられない。