映画「セッション」の是非めぐりネットで炎上中
1: shake it off ★@\(^o^)/ 2015/04/25(土) 23:01:12.90 ID:???*.net
名門音楽学校を舞台に世界的なジャズ・ドラマーを夢見る学生と鬼教師による狂気のレッスンを描いた映画「セッション」(公開中)をめぐりネット上でバトルが勃発している。
ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏が、公開前に自身のブログで約1万6000字を駆使して音楽的根拠を示しながら映画を酷評した。
これに、映画評論家の町山智浩氏が大反論。
映画として優れた点を挙げながら、影響力のある人物が公開前の映画を批判することの是非を問うたのだ。
菊地氏の酷評にツイッター上では、《僕は100人の「ジャズを知らない批評家の評価」よりも、菊池さん(原文ママ)一人を信じる。この映画、見る気が失せた。笑》と、町山氏の指摘通りの反応も。
かと思えば、《反対に怖いもの見たさの好奇心が刺激される》など、かえって映画の宣伝になったふしもある。
映画では、鬼教師がリズム感を叩き込むため、学生に「ワン・ツー・スリー」と叫ばせて、4拍目に「バチン!」と何度もビンタを食らわせるシーンがある。私事だが思い出したのは、小学生時代の“挫折”だ。
毎年、甲子園球場で吹奏楽の祭典に出場するため、炎天下で太鼓の猛特訓をさせられた。耐えきれず、2年でケツを割ってしまった(甲子園には1回出場した)。
「巨人の星」のようなスポ根がイヤでブラバンに入ったのに、どこの世界でも一番になるには血と汗を流さなければ成功はない、と知った幼き日。映画は面白かった。
(中本裕己)
アカデミーの主演男優賞にノミネートされなかったのは納得いかない
どういう基準で選んでるのよ
俺が小さい頃に通ってたピアノの先生は千枚通し使ってたぞ。
そこの生徒は地方のコンクールでいいとこ行く奴多かったし、娘は全国コンクールで一番になってた。
映画もしらんし、ジャズもしらん、ついで言うとピアノも知らん、忘れた。
だから、本当のとこ、どうなんかは知らんが。
スパルタ指導による効果はもちろんあるだろうけど、長い目で見たときにそれ
が本当に正しい手段なのか?
優れた手段なのか?
許される手段なのか?
その判断はまた別次元の話だと思う。
競争の結果は目に見えるが、音楽や教育には本来、正しさも間違いも無い。
最良の教育って「その子に合ってるかどうか」が重要だと思うんだ
子供には千差万別の個性があるのだから適した教え方も千差万別あるはずなのに
子供がどんな子かもよく吟味せずに俺の教え方のみジャスティスは横暴だよ
一通りの教え方しかできないからゴリ押ししてるだけじゃないか
俺は毎日金切り声で怒鳴られてピアノを見るのも聴くのも嫌いになった
俺にとって音楽を演奏する=苦痛だ
ここは宇多丸の見解を聞くが吉
音楽的な基礎も出来てないラップやってるだけの素人がジャズの批評なんて出来るわけねえだろ
(それ菊地も一緒w最近ラップ始めちゃったんだから)
面白いからみんな見てね
「こんなん大嘘、この映画は糞」って言ったら
映画批評家が「お前に映画の何が分かるトーシローが」って話だろ
ブログもツイッターも全く読んでないけど
もともと評論家みたいな感じの男だから映画もいろいろ観ているんじゃないかな
偉そうにjpop評論の本とかも出しているからもともと気質がそういう人
ジャズミュージシャンとしてはたいしたことはない
バディ・リッチはもう凄すぎて笑うしかない。ショードラマーの究極だ。
多分ブログを読むよりは映画を観たほうがマシだろう。
小遣い稼ぎになったかもしれんけど、ジャズミュージシャンも暇なんだなぁ
むこうの業界からの仕事の依頼ってあるのかね?
あれだけいろいろとむこうで人脈作ってても
仕事が日本の業界からしかないのでは悲しい過ぎるよな。
穢してねえだろ
音楽だろうがスポーツだろうが、登りつめるために人は必死で
様々な方法で自分を高めていこうとするんだよ
そのやり方が自分と合わないからと、穢すなとか言い出すのは筋違い
元スレ: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1429970472/
真面目な話、これは音楽映画じゃないからな
そのことを事前に言っとかないとこういう批判が来るのは仕方ない
公開前に批評したことについて町山は怒ってるのでは?
それはさておき、スポ根、巨人の星を例に出す人が多いけど、この作品にその言葉は当てはまらないよ
ブラックスワンでもこういう、うざい奴湧いたよね
なんなんだろうね~
プロの世界(もしくはそこを目指してる場所)でのスパルタ教育と子供に対するスパルタ教育を混同してるやつがいるな
ハッカーが出てくる映画での
ハッキングのデタラメさは許されてるのに
ジャズは許されんのか。
歴史ものを見て史実と違う、っていうのは「作品に対する批評」とは違うわけじゃないて話だよ
セッション。最後をどう解釈するかでもうぜんっぜん変わってくると思うよ感想
あの二人の間の確執が第2章になったのか、認め合ったのか考えるだけでも違うしね
何か残る映画だった
音楽に限らずだけど、スパルタはある程度は必要。
『血の滲む様な努力』って言うと陳腐だけど、ある一定レベルまで上がるにはそれが必要で、そこを越えることで新たな境地にも立てる。勿論スパルタなんてしなくても辿り着くやつはごまんといるけどね。