永井豪、手塚治虫と一緒に見た「シャイニング」の思い出!映画は「人生そのもの」
CS映画専門チャンネル「ムービープラス」で放送中のオリジナル番組「この映画が観たい」に出演し、
今は亡き手塚治虫氏と渡米した際、スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」(1980)を一緒に鑑賞したエピソードを語っている。
手塚氏を筆頭に、永井氏やモンキー・パンチ氏らは1980年、日本の漫画をPRする目的で、
米サンディエゴで開催されたコミコン・インターナショナル(通称コミコン)に乗り込んだ。
「先生(手塚氏)は現地でも仕事を抱えて忙しそうだったが、当時話題になっていた『シャイニング』を見に行こうと誘ってくださった」といい、
「得体のしれない恐怖、新しいタイプの異様な恐怖を覚えた。カメラワークにも驚きました」。
映画館を出ると、手塚氏と食事をしたそうで「先生は原作も読んでいたので、映画との違いを教えてくださった」と故人との思い出をしみじみ振り返る。
ゲストのかけがえのない“映画体験”と、それにまつわる人生エピソードを紹介する同番組。
永井氏は「シャイニング」をはじめ、
「未知空間の恐怖 光る眼」(61)、
「用心棒」(61)、
「エレファント・マン」(80)、
そして昨年世界中で旋風を巻き起こした「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を選び、その魅力に加えて自作への影響にも番組内で言及している。
「当時は子どもだったので、目の光る少年が恐怖の対象ではなく、力に対する憧れだった」という「未知空間の恐怖 光る眼」。
劇中に登場する金髪の不気味な少年は、永井氏の代表作「デビルマン」の飛鳥了のモデルとなった。
黒澤明監督の「用心棒」は、73年に連載が始まった「バイオレンスジャック」に強いインスピレーションを与えているという。
劇場で号泣した「エレファント・マン」は、奇才の名をほしいままにするデビッド・リンチの出世作で「常識から外れた作風には、共感する部分もある」と親近感を覚えている。
そして、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」に話題が及ぶと、同世代であるジョージ・ミラー監督のエネルギッシュな演出に「すごい迫力で驚いた」と脱帽の様子。
前3作もお気に入りだが「新作は今まで以上にやりたいことを思いきりやっている」と評し、
「タブーに挑まないと面白くないし、殻を打ち破らないと新しいものは生まれない」と70歳を迎えてなお、創作活動に“刺激”を求める姿が印象的だ。
永井氏にとって、映画は「人生そのもの。いつでも主人公になりきって見るから、常に映画の世界で生まれ変わり、輪廻転生を繰り返している」。
現在も連載を抱える多忙な日々だが、「チャンスがあれば、やりたいですね」と映画監督業にも意欲を燃やす。
収録ではデビュー前、手塚プロの門をたたくはずが、石ノ森(当時石森)章太郎氏のアシスタントになった不思議な逸話や、
大ヒット作「マジンガーZ」発想の原点など、興味深いエピソードも語られている。
「この映画が観たい永井豪のオールタイム・ベスト」は、7月4日午後11時からムービープラスで初回放送予定。
http://eiga.com/news/20160703/1/
(2016年7月3日)
スレッドURL:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1467534160/
シックスセンスと死霊の盆踊り
あの草間彌生に大きな影響を与えたんだよなその2作
デビルマンと手天童子とバイオレンスジャックの最初の方と
イヤハヤ南友あたりをついでに読めば
永井豪が天才であることを否定するのは難しい
「もうアシスタント任せなんだろうね」とか話してたら、
「ちゃんと自分で描きましたよ(笑)」って後ろから話しかけられた思い出
そこから話しができたなら羨ましいものだ
こっちは苦笑いするしかなかったわ
先生はニコニコしながら大物の風格で去ってったよ
シャイニングはそんなに台詞ないし
日本で一緒に見た話をアメリカに行った時にしたんじゃないの
>「先生(手塚氏)は現地でも仕事を抱えて忙しそうだったが、当時話題になっていた『シャイニング』を見に行こうと誘ってくださった」
元記事にもこう書いてあるように、渡米した際に現地で2人で観たんだよ。
ただし「現地でも仕事を抱えて」というのが問題で、手塚は連載を抱えている真っ最中に渡米したから映画鑑賞とイベント出席以外の
ほとんどの時間を連載に費やしていた
(永井は原稿を描き終えてから出発した)。
しかし、ジャック・ニコルソンは最初から狂人にしか見えない
byスティーブン・キング
確かにそうだ
ミザリーの方が怖かった
この人何でも知ってるな
手塚はキューブリックからの2001年宇宙の旅の美術監督の依頼を断ったから
キューブリックの作品には関心があっただろうから原作も事前に読んでたんだろうな
アトムのアニメやってたから断ったけど
映画見たり本を読んだりしたんだろう。
あれはやっぱり本人じゃなくてアシスタントの絵なのかね?
永井豪の創作能力を維持するために
小松左京が会長なんだっけ?
あとは筒井康隆とか
アメリカで既に見ていた手塚治虫は、上映中、
隣に座った矢口高雄にストーリーを先行して教えていたそうだ。
矢口は、手塚先生の解説付きで観られるなんて素晴らしいと
感動していたそうだが。
コメント
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コメント (2)
この時の話、「BJ創作秘話」に出てくるよね。
国際電話でコマ割り指示したり、帰りの飛行機の中で漫画描いてたり。
そしてできたのが「話し合い」。
元不良が教師になり、生徒を更生させようとする話。
電話での指示といえばアシスタントに背景描かせるとき「ここには○○(作品名)○ページの○コマ目にある木を描いて・・・」って自分で描いた漫画のどこの何ページに何があるか記憶していたという話があるな。実際にアシスタントがインタビューで答えていた。
手塚治虫といえば若手に嫉妬するほど漫画への情熱がすごいと言われているけど、確か永井豪だけは認めていた気がする。他は過去のものを踏襲しているだけで新しいことをやっていないとか言ってたと思う。